同人誌印刷トム出版 第一球投げました  大津皇子 NO,3

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磐余の地

このように世間から将来は天皇と嘱望された大津皇子だったが、

悲運の末路は誰も想像し得なかった。

彼は父天武が逝去するとたちまち謀反の罪で捕らえられ、飛鳥の

磐余(いわれ)の地で処刑されて仕舞うのである。

将来、天皇という地位まで約束された人が、何故といも軽々しく極刑を科せられたのだろうか。

大津は決して謀反など考えもしなかった。考える必要も無かった。

自己が天皇になることは周囲の状況から判断しても

必然だったからである。

すると、謀反とはむしろ大津皇子を排して、主を即位させたい者がたくらんだ罠だったと

強く想像できるのである。

それは誰か。

異母のうののささら(鵜野讃良)に使える者の仕業であろう。

天武天皇、朱鳥元年(886年)崩御

鵜野讃良皇后、持統天皇として即位。