同人誌印刷 トム出版     清水流るる柳かげ

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大津の皇子の話は後日、改めてしてみたいと思っている。

今日はその二上山を下って太子町から河南に赴くこととした。

河南町ですぐ思い浮かべるのが、かの有名な弘川寺である。

このお寺さんはとっても由緒が古く、且つ創建の歴史も

エンのオズヌ(役小角)から始まるというから、

ゆうに1700年もの年月を閲していることになる。


この辺り一帯は古代には、いわゆる近つ飛鳥と称していた地域だから、

見るもの有るもの総て神々しいのは、むしろ当然のことかも知れない。


弘川寺は河南町の役場から北東約2キロの山裾に在している。

秋は紅葉、春は桜がとってもキレイなところから、家族連れやハイカーなどで

賑わう行楽ポイントになっているが、

秋もいいが、やっぱり春の方がこのお寺さんにはよく似合うのではないかと思う。



その春に因んだ話になるが、このお寺さんは、

かの高名な西行法師が示寂されたところである。

西行さんは若い時分に出家して、四国、近畿、東海、果ては奥州まで行脚。


あの芭蕉が「遊行柳」

(栃木県那須町に所在)

を偲んで、

西行

  ~ 道のべに 清水流るる柳かげ  しばしとてこそ  立ちどまりつれ ~ 


の歌を念頭に浮かべながら、


   ~ 田一枚 植て立去る 柳かな ~



と、詠んだ逸話はことに有名である。

その西行法師は、かねてよりご自分の願いどおりの、、


    ~願はくは  花の下にて春死なん、

           そのきさらぎの  望月のころ~


の歌のとおり、ここ弘川寺で入寂した。

建久元年没 73歳

この三年後、源頼朝鎌倉幕府を開いた。